オーダーメイド自転車専門店「サイクルストア ヒロセ」 買う文化

小平市大沼町の新小金井街道沿い、錦城高校の隣、FC東京のグランド向かいにあるオーダーメイド自転車専門店「サイクルストア ヒロセ」をご存じだろうか。

自転車愛好家の間では世界的によく知られ、海外からも取材が来るようなすごいショップなのだが、一見なんの大げさなところもない小さなお店だ。廣瀬さんはその販売店を兼ねた工房で50年もの間自転車を作り続けてきた。

そこで作られる自転車の多くは僕のような素人目には一見普通のロードバイクやサイクリング車だ。にもかかわらず専門誌では「個性的」と評される。

サイクルストア ヒロセ

 

廣瀬さんは自分の作る自転車に関するものは何でも自分で作ってしまう。小さなねじ1本からキャリア、レバー、ギア、ラグ、ライト、泥除け、変速機まで!本当に何でも作ってしまうのだ。そして、どのショップに行っても断られるような拘りを抱えたライダー達の、どんなに難しい注文も「できるよ」の一言で受けてしまう。そうやって作られた自転車は見る人が見ればやはり個性的であり、日本各地の有名なビルダーの中でもサイクルストア ヒロセが際立って熱いファン層を持つ理由なのだろう。あくまで「フレームビルダーではなくて自転車のビルダー」として乗る人ひとり一人の為のベストにこだわったその作品に、惚れ込んでオーダーをリピートする人も多いという。

こんなすごい自転車屋さんが僕の住む町にあるなんて、それだけでうれしくなってしまう。

 

色々と考えるうちにどうしても一度、廣瀬さんにお目にかかりたくなって会いに行ってみた。廣瀬さんはどこの誰とも知れない緊張気味の僕に、気さくに話をしてくれた。(訪問日:2019年3月6日)

廣瀬さん 大学は音楽科卒 お父様は生前に東京天文台(現国立天文台)の台長を務めていた天文学者だったそうだ

 

――廣瀬さんがこちらに開店された当時(1970年)は、周りは畑だったんじゃないですか?

 

「ここは森。武蔵野の雑木林。(隣の)錦城高校はうちより4・5年前にできていたんです。たまたまそこで土地が売ってたんで、たまたまですです。」

 

――じゃあここら辺も、森があって、向こうに畑があって、隣に錦城高校があって、新小金井街道も通ってなかったですよね。

 

「通ってないですよ。90年に開通したんで。」

 

そういえば子供の頃、歩いて行けるところにいくつか雑木林があったのだ。今ではすっかりきれいに無くなって、何度も遊んだ所なのにどこだったのかさえ分からなくなってしまった。

 

――初めて作られたのはお子さんの自転車と伺いました。

 

「そう。ジェンナーと同じでさ、子どもで実験するの。アハハハ。」

 

――ジェンナーってあれですよね。日本脳炎ではなくて…。

 

「種痘(天然痘)。で次はさ、うちのかみさんの(自転車を)作って。自分のは危ないから最後に。アハハハ。」

 

そんな風に言うけれどサイクルストア ヒロセの一番奥の壁には、ツーリングに一緒に行った時の奥様の写真が大きく引き伸ばされ、大事に飾ってある。1968年。廣瀬さんは26歳だ。吉祥寺の東京サイクリングセンターで、毎月何百台も自転車を組み立てていたのもこの頃だろうか。

1968年 ご夫婦でツーリングに行かれた際の写真

 

「大学に通っていたってさ、自転車屋なんだか学生なんだかわかんない、アルバイトをずっとやっていて。当時は第三次サイクリングブームで東京オリンピック前後の時にものすごい売れたんだ。」

 

ちなみに廣瀬さんは日大芸術学部音楽科卒。奥様の洋子さんとはそこで出会ったそうだ。店内ではずっとクラシック音楽が流れている。

 

「ふつうは作って売ってる人たちはさ、どこかで習ったり聞いたりして(作り方を教わって)作っているわけでしょ。僕はそういうの全部自分で考えて、こういうの(冶具)も全部自分で作るわけ。オーダーメイドってお客さんの個性を発揮するわけでしょ。誰かが作った冶具を使うとさ、(その冶具を作った人は)自転車はこうだって思ってるからその冶具を作ってるわけでしょ。そしたら(お客さんの個性が)それと違っていたらさ、使えないわけじゃない。それで自分が思っているもの(お客さん一人一人の個性に即した自転車のパーツを作るための冶具)を売っているわけがないでしょ。だから冶具って作るしかない。こういうの(変速機用のギア)も全部自分で作るわけ。だからまず、これを作る道具ってのを作るわけ。材料とかベアリングとかは出来合いなんだけど、こういうのを旋盤とフライスで全部、ねじも全部旋盤で作っていくわけ。変速するときのレバーね。こんな厚いものから削り出して。それでその人そのひとで好みとかあるでしょ。みんな違うの。同じものは一つと無い。まあ同じものは作れないって話もあるけど。お客さんがどういった格好が好きかとか、そういうので全部変えて作るわけ。」

 

――そうか。なんかすごいなあ…。(黄色い自転車の変速機を指して)これがプルプルってやつですね。

 

「そうそう。それはね、変速機が発明された頃の機構なの。」

 

――昔の自転車の写真とか見るとこういう風な感じですよね。

 

「まあ、だけどそこの、プルプルの9段てのはそこの一つしかないわけ。そんなんで9段やった人いないから。」

 

――じゃあ世界初のプルプル9段!

 

廣瀬さんは変速機まで自分で作製してしまう。量産に向かないためメーカーが生産をやめてしまった古い機構を、汎用品では満足できないお客さんのために現代にも通用するスペックと品質に改良してその自転車の為だけの一品ものを作るのだ。この9×3段変速の自転車は東京流通センターで行われた今年(2019年)のハンドメイドバイシクル展にも出品された。

廣瀬さんの製作した変速機 この機構で9段変速は世界初だ

 

――お弟子さんとかは取られないんですか?

 

「それはね。伝えようがない。例えば絵描きがさ、絵を描くじゃない。そこに弟子っていうのがいて先生のマネするけど、先生の頭の中にあるのは本当のところ分からないでしょ。だからそういうわけで弟子はいない。そいで、だれにも教わっていないんだからさ、考えればできる。それで絶対できるものを作っているわけだからさ、出来なかったらおかしいわけでしょ。出来なかったら出来ない理由を考えればさ、出来るってなるの。」

 

廣瀬さんがの語り口調は静かだが熱い。そして廣瀬さんのお客さんにも熱い方が多いのだ。その中の一人の方が立ち上げたYouTubeチャンネル「C.S.HIROSE博物館」は海外でも視聴され、英語のコメントもたくさんついている。海外の雑誌もショップまで取材に訪れるなど、サイクルストア ヒロセはその筋では世界的な知名度を誇っている。

 

「こんな何やってるか分かんないのが世界で一番知られている日本の自転車屋ってのが(笑)。」

 

――いや~それが小平にあるっていうのがうれしくって…。もっとみんなに知ってほしいって思うんですよ。

 

「みんなが知ってんのは、パンクして持ってきたら『修理はやってない』(と書いてある貼り紙がはってある)みたいな。アハハハ。あんのやろ~って(笑)。とりあえず、なんでも作ってます。作れるからね。」

 

――僕も、いつか自分もって思っているんですけど、なかなか…。一台おいくらぐらいなんですか?

 

「今は50万円ぐらいになっちゃってる。」

 

50万円か…。しかし本気で楽器やカメラの機材を集めようと思えばこれぐらいする。サクソフォンやギターも普通にこれぐらいするしなあ。オーダーメイドという事を考えても決して高いとは言えない。

 

――今日はどうもありがとうございました。

 

廣瀬さんが作る自転車の前面には三角形のバッジが貼り付けられる。そこには風船のモチーフの下に”HIROSE”と書かれている。速そうでも強そうでもない、まあるい風船が浮かんだデザインだ。スピードや安直なスペックなどでは捉えることのできない廣瀬さんの作る自転車に相応しく思われる。

しかしなぜ風船なのだろう。以前から聞いてみたいと思っていたのに聞きそびれてしまった。次回行ったときに伺ってみたい。

皆さんも一度お店を覗きにいらしてはいかがでしょうか?けして安くはないけれど自分にとって世界最強の自転車が手に入るかもしれません。

スポット情報

スポット名 サイクルストア ヒロセ
所在地 日本、東京都小平市大沼町5−3−15
営業時間 11:00~16:00
休業日 ホームページ参照
TEL 042-343-5140
Webサイト http://www.cs-hirose.com/

この記事を書いた人

kambaraさん