景観ベスト10紹介

 

 

1 玉川上水と分水網・築樋・新堀用水胎内堀

●玉川上水(写真は「じょうすいこばし」付近)

玉川上水は、江戸市中に飲み水を送るため、承応2年(1653)わずか8ヶ月で開削された優れた土木遺産(国史跡)です。小川用水を始め玉川上水から分水された各用水が小平開拓の源となりました。市内の約8㎞にわたる緑道の豊かな自然景観は、市民憩いの散歩道となっています。名勝小金井サクラや、「じょうすいこばし」・レンガアーチが残る「久右衛門(きゅうえもん)橋」等上水に架かる橋も魅力です。
 
 

●玉川上水の分水網(写真は小川用水南北分岐点)

承応2年(1653)江戸市中に水を送るため開削された玉川上水は、分水により武蔵野の新田開発に役立ちました。小平では、小川用水を始め、田無用水、鈴木用水、野中用水、大沼田用水、関野用水、砂川用水、新堀用水など現在でも約50㎞もの用水が残り、そのかなりの部分で水の流れが見られます(野火止用水も市内の分水網に含まれますが「3 野火止用水」として独立の項目としました)。
これほど多くの分水網は、玉川上水沿いでは小平にしか残らない貴重な歴史遺産で、市民の潤いと憩いの水辺となっています。
 
 

●築樋(つきどい)

築樋とは、水路が通過する位置が周囲より低い窪地に盛り土をして、その上に水を流す工法をいいます。用水を自然流下で流すために工夫された江戸時代の知恵です。現在でも大沼田用水(西武新宿線と東京街道間の新小金井街道西)に見られますが、仲町とあじさい公園南にも小さいながらも築樋が残っています。
 
 

●新堀用水胎内堀

新堀用水は、明治3年、現在の小平監視所付近から下流に設けられていた玉川上水北側の分水口を一つに統合したものです。一部の区間は「胎内堀」という当時としては珍しい工法によっています。「胎内掘」とは、竪坑を掘り、その前後に横穴を掘りつなげる言わばトンネル工法です。小川橋上流に、その竪坑跡が4ヶ所現存し、平成30年度~令和元年度に保全工事を行った胎内掘坑口も見られます。

 

 

2 ふるさと村の歴史的建物

平成5年5月に開村した小平ふるさと村には、旧神山家(こうやまけ)住宅主屋、旧鈴木家住宅穀櫃(こくびつ)、旧小川家住宅玄関棟、旧小平小川郵便局舎が移築復元されており、いずれも文化遺産として後世に伝えていくために小平市有形文化財に指定されています。このうち、旧神山家住宅主屋は、江戸時代中期における武蔵野新田農村の特徴をとどめています。旧鈴木家住宅穀櫃は、江戸時代後期に近郊各村に造られた飢饉に備える稗倉の形式を伝える貴重なものです。また、旧小川家住宅玄関棟は、文化2年(1805)の建物で、旧小川村の開発の中心的役割を果たしてきた名主の小川家に代々継承されてきたものです。

 

 

3 野火止用水(伊豆殿堀(いずどのぼり))(写真は「ふれあい橋」付近)

野火止用水は、明暦元年(1655)野火止台地(現埼玉県新座市)に水を引くために開削された、玉川上水最初の分水です。江戸幕府老中で川越藩主だった松平伊豆守信綱によって開削されたので、「伊豆殿堀」とも呼ばれています。随所にせせらぎと雑木林が見られ、東京都歴史環境保全地域に指定されています。

 

 

4 鈴木ばやし・神明宮八雲神幸祭

●鈴木ばやし

市内に唯一残る郷土芸能として、江戸時代の弘化4年(1847)から鈴木地区に伝わるものです。この「はやし」は、江戸里神楽のはやしの一部を取り入れ、はやしにのって獅子、おかめ踊りなどを舞うものです。小平の青年教育の先覚者であった鈴木新田の深谷定右衛門が、当時の若者たちに健全な娯楽を与えるために創り出し、代々伝承されてきました。小平市無形民俗文化財に指定されています。
 
 

●神明宮八雲神幸祭

神明宮八雲神幸祭は、4月の第4土曜・日曜日に行われます。その昔、氏子中に病気が流行した際、鎮圧のため神輿に八雲大神の御神体をお載せして廻ったのが始まりです。宵宮祭には、氏子各組の9基の萬灯が青梅街道を行進、神社に集結します。その際、氏子中の家々が街道筋に灯籠を立てて、夜の青梅街道を明るく照らし、神社までの参道となります。翌日は、早朝から大神輿が氏子中の道程を渡御、大神様の御神威を間近に悪疫退散、雨乞い、地域の安泰・繁栄を祈願します。

 

 

5 海岸寺の山門


海岸寺の山門は、天明3年(1783)頃の作で、鎌倉時代の禅宗様の様式を取り入れた総ケヤキ造りの四脚門です。天井板には黒雲を割って天翔ける龍の絵が描かれていた痕跡があります。本柱上の枠組みと破風流れの屋根構え、茅葺き屋根が珍しい貴重な建物です。小平市有形文化財に指定されています。
(「海岸寺の山門」は、2024年3月まで保存修理工事中です。)

 

 

6 竹内家の大けやき


市内最大の巨木で、高さ35m以上、目通り(地上1.2m)の幹の周囲6.5m、枝張りの面積が400㎡もあります。竹内家がこの地に移り住んだ寛文年間(1661~1673)に、春の赤風と秋の台風に備えて植樹した数多くの樹木の中の一本で、樹齢は350年以上になり、開拓当時の屋敷森がしのばれます。小平市天然記念物第1号に指定されています。

 

 

7 短冊型地割・たから道

●短冊型地割

街道の両側に屋敷を並べ、その背後を農地とする整然とした地割が江戸時代の武蔵野新田開発の特徴で、「短冊型地割」と呼ばれています。延宝2年(1674)頃の小川村絵図(小川家文書)等に描かれた短冊型地割が、小川町をはじめ市内各地に多く残存しています。
 
 

●たから道

南北短冊型地割の母屋と畑の間に「たから」と呼ばれる農作業用の空間があり、隣り合う家々の「たから」を東西に結ぶ幅一間(約1.8m)程の細い道を「たから道」と呼んでいます。この呼び名は、小平独特で、それも旧小川村と旧小川新田村にのみに残る珍しいものです。たから道は、現在ではほとんどが市道になっています。

 

 

8 鈴木稲荷神社本殿覆屋の鏝絵(こてえ)と境内の金刀比羅社(ことひらしゃ)の彫刻装飾

鈴木稲荷神社本殿の白壁の覆屋の壁面上部に、漆喰で立体的に表現した鏝絵があります。明治初期に田無村の左官職新倉安左衛門によって作られたもので、西面には象が、北面と南面には狐の親子が描かれています。
また境内の金刀比羅社には、龍等の彫刻が施され、西南北の三面には、中国の故事にちなんだ情景が彫刻で描かれています(写真は西面の「桃園の義(三国志演義)」)。南面の彫刻の裏の墨書から、天保4年(1833)江戸浅草の彫巧、小川慶長の作とわかります。

どちらも小平市有形文化財に指定されています。

 

 

9 街道の風景・青梅街道馬継場跡

●街道の風景(写真は東京街道と新小金井街道交差点付近)

小平は、九道の辻に見られるように、古くから東山道武蔵路、鎌倉街道が通る交通の要衝でした。今でも、東西に青梅街道、東京街道(江戸街道)、五日市街道、鈴木街道、たかの街道、南北に府中街道、鎌倉街道、小金井街道が通っています。屋敷森等旧道の面影、各地の道標や、五日市街道の「まがりとう」、東京街道(江戸街道)やたかの街道の農産物直売所などを見て歩くのも楽しいです。

●青梅街道馬継場跡(写真は平安院付近)

青梅街道は、青梅の石灰を江戸に運ぶために整備されました。田無と箱根ヶ崎に伝馬宿がありましたが、その間5里(約20㎞)もあり不便でした。そこで、明暦2年(1656)小川九郎兵衛が伝馬継ぎを務めることを条件に願い出て開発されたのが小川村で、馬の数は最大158頭(正徳3年(1713))もありました。青梅街道の府中街道交差点から平安院までの約1.3㎞の間、道幅が広くなっているのが当時の馬継場の跡で、これほど長い馬継場は、他に例がないと思われます。その東西の両端に馬頭観音があるのも象徴的です。

 

 

10 まちなかの石造物・屋敷神


まちなかには、馬頭観音、石橋供養塔、庚申塔、地蔵尊等の石造物が多数あります。なかには道標を兼ねるものもあります。小川村が青梅街道の馬継場であったことから馬頭観音が多いこと、用水路が多かったことから石橋供養塔が多いのも小平の特徴です。当時の人々の暮らし、民間信仰、民俗等を伝える貴重な歴史遺産です。
また、江戸時代から屋敷神が多く残るのも小平の特徴で、道路沿いの敷地や畑に小さな社が建っているのを見かけます。平成21年調査で、稲荷だけで115の屋敷神があり、各家で大切に祀られています。